こんにちは!ジギゴロです!
今回は子供2人持ちの会社員と専業主婦だった家族が
ギリ30代でセミリタイアした理由についてお話します。
セミリタイアとは、そのままの意味だと半分引退ですが、
私の認識では、労働収入とは別の収入源や資産を持つことで
会社員のようなフルタイム労働から仕事量を減らし
自由な時間を増やし生活するライフスタイルのことです。
会社員だとしたら、『仕事量を半分にしたい!』と思っても、
小さい子供がいる為に時短勤務ができる等はありますが、
現在の日本社会では希望しただけで希望の時間に働くことを
認めてくれる会社を私は聞いたことがありません。
そもそも、会社員では実現が難しい
『時間に縛られず自由に』がセミリタイアのポイントの為、
仕事に関しては会社員を退職して個人で事業を起こすことが
前提になると考えています。
セミリタイアと似た言葉でサイドFIREがありますが、
今回については、ほぼ同じということにさせてください。
そんなセミリタイアを我が家が決断した理由について
お話させて頂ければと思います。
憧れのセミリタイア
我が家はセミリタイアを目指して資産形成をしてきた感覚は、実はありません。
2020年に新型コロナで世間の在宅の時間が増えたことで
YouTubeやX(当時Twitter)等のSNSを中心にセミリタイアやFIREの考え方が
流行したことでそのライフスタイルを知る機会を我が家も得ました。
はじめて知った時は、漠然と夫婦で『不労所得良いね!』と感じましたが
実現するにはその当時、純資産はプラマイゼロであった事と、
仕事は好きで上司、部下、お客様とも仲が良く、
会社でも良い評価をして頂いていると感じており、
不満や疑問はあるものの、辞めたいとまでは思っていませんでした。
その為、セミリタイアは憧れでしかありませんでした。
ただ、目指す為の倹約や投資方法に共感し、
行動できるものから夫婦で少しずつはじめ、
家族で楽しみながら試していたら、
運よく上昇相場にも乗ることができ
いつの間にか資産形成はできていました。
資産が形成できていたこともありますが、
退職する前の一年間で“様々な出来事”があったことで
半年前にセミリタイアしようと夫婦で決断したのが我が家の経緯となります。
その”様々な出来事”について主たるものを3つお話しします。
同期の訃報
一つ目は、退職の一年前に会社の仲良い同期の訃報を聞きました。
ちょうど仕事で関わることがあり、亡くなる3日前まで連絡を取り合っていた為、
その訃報を聞いたとき、しばらくは信じることができませんでした。
今も戒めのようにその時のことを思い出します。
急性症状であり、どうしようもできない事はわかっていても、
救えなかったのか?と思い悩むことは今でもあります。
人生いつ終わるかわからない
強くそう感じた出来事でした。
自分はその瞬間が来た時に
後悔なくやりたい事はできたか?
と問えるか疑問を持ちました。
その同期の分も楽しく生きなきゃいけないと
勝手に心に誓った瞬間だったかもしれません。
妻の起業
二つ目は、夫婦で資産形成を学ぶ中で、働き方についても大きな学びを得ました。
それは、会社員は決して安定ではなく損する立場だということ。
他人が考えた事業の手伝いでしかない為、
その他人の指示に従っていれば調子が良い時はある程度の収入を得られるが、
その対価として場所や時間、さらに言えば未来も縛られる。
その他人が間違っていた場合は、未来でどん底に落ちることがあるかもしれない。
築いてきたキャリアがゴミになったとしてもその他人は責任を取ってくれはしない。
そんな危機感を夫婦で感じ、
何か自分たちの力で事業ができないか模索しはじめました。
私の妻は自分には育児はできないかもしれないと
苦手なのはわかっていながらも子を授かり
家事育児を頑張ってくれていました。
その中でも子育てをしながら短期的な仕事や資格取得も行うなど活発的に行動し、
ついには妻は自分の趣味を拡大し起業を実現しました。
私や妻の周りには先代から自営業を引き継いだという人が稀にいても、
起業した人はおらず、身近な人では初めてでした。
スモールスタートで初年度は扶養内の規模でしか利益はなかったのですが、
会社員で働くことしか頭になかった私からしたら衝撃的な出来事です。
強く尊敬すると共に、起業に対するハードルを自分が上げていただけとも感じました。
私は応援したくて可能な限り家事育児や妻の事業の手伝いをしていたのですが、
そこに下の子の発達の遅れもわかり、その対応もしなければならず、
とにかく時間が欲しいと夫婦で感じていました。
会社に絶望
三つ目ですが、どちらかと言うと前途したように
私は仕事も会社も好きな方だったのですが、
特に人間関係が原因で会社を嫌いになってしまいました。
退職4年前にキャリアアップで十数年務めた部署の異動が決まった後に
コロナ渦が重なったことで希望とは異なる部署へ説明なく複数回異動し、
マイホーム売却も伴う転勤、全く希望しないキャリアの業務を担当することになりました。
それでも仕方ないと家族の時間を確保する為に食いしばって残業しないように
仕事を早く終わらして帰宅するよう努めていました。
それが原因かもしれませんが、新天地での社内派閥違いでの孤独に加え、
残業しない程余裕ならばと面倒な追加業務の丸投げや、嫌がらせ、暴言を受けました。
『やりたくなければ、やめればいいじゃん』
こんな言葉を発する人間が評価され管理職にいる会社なのか。
そう感じた時、会社への信頼は地に落ち、
この会社ではもう働けないと燃え尽きた感覚がありました。
そう思い立ったとき、気付いたら転職サイト等に複数登録し、
転職活動をはじめていました。
決断の時
このような精神状態ではあったものの、
家族の今後に関わることなので全て話をし、
家族会議をしました。
もし転職ができた場合であっても、
また転勤になる可能性は高く、上の子は小学生のため転校になる。
新しい職場ではきっと慣れないことも多く、
今よりも夫は家庭の時間がなくなる可能性もあり、
下の子の発達遅れに対する対応が遅れてしまうことは避けたい為、
妻は起業したばかりだが、廃業しないといけないかもしれない。
その時に夫婦でふと気づきました。
現在、資産はあり、時間は欲しい、今やりたい事をやりたい…
あぁ今だ!
セミリタイアすれば全てが叶う。
そう考えたら、すぐに今退職したら資産がどうなるか調べました。
税金関係やセミリタイア事例、いくつかのシミュレーションを実施するなど…
リスクはゼロではないものの、最悪は私の今のキャリアが途切れるだけ。
子供の成長に合わせて時間にも余裕ができる為、
事業がうまくいかなかったとしても、選ばなければいくらでも仕事はある。
そう夫婦で結論に至り、次の週には会社に退職を宣言しました。
最後に
我が家はこのような経緯を経て
『人生いつ終わるか分からないし、やりたい事して生きてみよう』
という答えに辿り着き、
その為にセミリタイアを決断しました。
やりたい事もそうですが
特に私はやりたくない事をやらなくていいとの
ニュアンスが強いかもしれません。
1度しかない人生なのだから
やりたい事を見つける事も楽しめばいい。
今はそのような考えで生きています。
この記事が皆様にとって少しでもお役に立てたなら幸いです。
最後までお読み頂きありがとうございました!